コミュニティ。

コミュニティ

 

ここ以外の場で何度かふれたことのある話題ですが、Twitterしかり、リアルしかり、あまり十分に表現できなかったと思うので、ここで一応の体裁を持って文字に起こしておきます。

といっても、今回の話題はいつにもまして結論が弱いので、ブラウザバックなしには悪しからず...。

 

また、あえて遠回しな表現や、意味の分かりにくい言葉をふんだんに使って、『先天の可能性を思わせるほどの才能を見せつける厨二病』のような文章になっています。それは、私の友達がこれを読むことへの嫌がらせであるというのもありますが、私の頭の中が、この話題に関して、何か断言をするにはあまりに抽象的な体系を保っていることに依存します。ほら、もう読みづらいでしょう。某講義で用いられる某スピーチ並みに読みづらくしてやるぞ、コノヤロー。

 

 

生き方を変えて能動的に人生の分岐を迎える

ここでいうコミュニティとは、特別な意味を含まない、広義的な『人間関係』に関してのことです。

 

私は昔から様々なタイプの人たちと交友関係を持っていました。個別に関係の深浅の差こそありましたが、交友関係を持ったなら必ず相手を尊重し、敬意を払っていました。

みんなと友達になっていた、つまりは、人を嫌いになるということは無かった、ということです。それぞれのタイプを認め、彼らをみな自分の人生の中に取り込んでいました。

 

しかし、ここ1,2年の間でそのような『やり方』を変えねばならないなと考え始めました。見聞を広め、自分の将来の目標を見据え、そのために生き方やその環境を整理しようとしたとき、明らかにこのやり方は自分にとってマイナスだと考えられたのです。

 

この世界で成功した先人の言葉を借りてみても、彼らが心がけていたのは自分に合わせた人間関係の管理でした。『自分に及ばぬ者をそばに置くな。』とか、『常にポジティブな人を身の回りに置くこと。』とかとかとか...。

 

私は、これらの言葉に感化されたというより、(無論私が思うところにおいて)より道理的なプロセスでこれらに同意し、自分の生き方としようと決めました。

 

しかし、今まで意図的にコミュニティの身辺整理をしたことがなかったので、私にとってこれは決して簡単なことではありませんでした。

 

人を自分の人生に取り込む癖、すなわち、生きることの要素の大半をしめるコミュニケーションにおける癖がつくと、本質としてそれは生き方の方向性なので、簡単に矯正することができないのです。無意識のうちに、望まぬ人を取り込んでしまいます。かろうじて、逆の意味で有意識に行動すればそれを避けることができるのですが、やはり生きる上で常にこれを考えるのは難しいことです。

 

その上、ポリシーを改めようとしている上でのことなので、以前までとは違い、この人はそばに置くべきでない、ということを選別的に考えることができ、その弊害として焦りなどからくる精神的な負担を負うことになります。

ここまで生きてきてこんな思春期のような気持になるとは...。精神面が負の方向に向かうと、バイタリティもこれに伴って、私の人間性デカダンスへと向かっていきます。ふおおおお...。

 

 

誰のためのコミュニティ?

そうこう考えているうちに、「あれ?交友関係って、ここまで能動的に自分のためを思って形成するものなんだっけ?」なんていう疑問が浮かび上がってきます。『情けは人の為ならず』の、超絶フォー・ファーストパーソンバージョンは、果たして生き方として(あえて断言しますが)正解なのだろうか。

むしろ、お互いを尊敬しあうことで友人同士であり、それはもちろん相手がその大きな基準のひとつなのではないだろうかと思うわけです。

 

頭がカタいなあなんて言われますが、私には、物事において、それが哲学の範疇にまで及んでもなお自分が割り切れるまで追及してしまうヘキがあるなあという自覚があります。このヘキに関しても、ある程度の矯正が必要かもしれないなあと考えていますが、私に内在する人間性のうち、アイデンティティの結構な割合を主張するものであり、人間的成長のためとはいえ、当然、絶対基底自己を多少なりとも折り曲げることには人並みに懸念があります...。

 

このベクトルに話を深めてゆくと、コミュニティの話から生き方の話に転置してしまいそうなのでやめておきますが、いかんせん、ここまで生きてきて、ここまで考えて、早期に専攻を決めることでここまで人生を絞っても生き方に迷いがみられることには、どうしてもフラストレーションを生じてしまいます。いま、私は人生において、日進月歩あるのみというような段階にあるはずなのですが...。

 

 

 

うーむ...。一通り、思うことを文字に起こしてみましたが、やはりあまりにも結論がないと、アウトプットすることの恩恵は享受できませんね...。次回はもっと簡潔に、結論の伴った、構成のある話題について書こうと思います。

 

では。