Twitterって便利だし楽しいけど...

どうもぼくです。

最近、友達との会話にもちょくちょく出してるんですが、Twitterってめっちゃ最高ながらもドクソゴミな部分もあって、Twitterを続けるかやめるか迷ってます。今回はいつにもましてどうでもいい話です。何回も議論された新規性のかけらのないことです。

 

Twitterって、新聞やテレビなどの情報供給の主流派から外れてより客観的に情報(政治、事件とか)を受けることができるのでとってもいいですよね。だから起こる物事に対して不適切な先入観から臨んでしまうということをしなくて済む場合が若干多い気がします。

 

また、自分の目指すところと近い地点におられる、自分よりキャリアを積んだ先輩方の率直な思いをのぞくことが出来たり、それに関して交流することもできます。とにかく超便利だし楽しい。

 

反面、Twitterのサービスの気軽さから、感情的で極端なデマゴーグが横行していて、これを見るたびに私は胃がキリキリしてくるんです。

私がここでいうデマっていうのは、物事の複雑な背景を切り取って結果だけを比較し、うまいこと風刺を利かせて表現するもののことです。二重国籍がどうとか、機関の対応がどうとか。

もちろん大衆が気軽に気持ちを発信することで民主主義的なところが保たれるみたいな重要な側面もあると思うんですけど、こちらも軽い気持ちでタイムラインを眺めるたびに誤解のありそうなヘイトを見かけると、嫌な気持ちになっちゃうんですよねえ...。

 

あと、自分の感情を投稿して周りからの反応を得て満足できるところもいいと思うんですけど、自分の内を外に表現しすぎて隙だらけの人間になりがちですよね。黙っててこそ発言の説得力やその人自身の価値が保たれるというのもあると思います。

 

あんまり話がまとまらないけど、とにかくTwitterって良いところ悪いところがあって、使ってると便利だけどもやっぱり精神に負担がかかるなあ、っていう話でした。

TOEIC公開テスト初陣の事後報告とか

TOEIC公開テスト

 

2017年4月9日に、東京の秋葉原プラザビルにてTOEICテストを受験してきました。

Twitterにも投稿しましたが、結果は以下の通りです。

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今回のテストにあたって当初に設定していた目標スコアは、Total730点でした。

んー、全然足りない。でも、自分のこなした勉強の量と質に見合ったスコアかなと思います。とりあえず「同年代と比べて英語力が低いと評価されがちな高専生の実力帯」を抜けることはできたんじゃないかなあと。

 

 

経緯

いままで学内外の10人くらいから英語の勉強の仕方を聞かれたのですが、勉強法をわざわざ公表するには絶妙に微妙なスコアを出してしまったので、僕(一人称どうするかマジ悩む)がこのテストにどう臨んだかの経緯だけ書こうと思います。

 

僕は高専卒業後の進路に他大学への編入学を志望していて、とにかく時間をより有効に使って勉強を進めたかったので、実力や境遇が自分と近い人たちを見つけ、コミュニティを築くことにしました。

英語(TOEIC)に関しては、小学校以来の友達にたまたま同じくらいの実力とモチベを持ったヤツが1人いたので、勉強における様々なことを彼と共有することにしました。

自明的なことを言いますが、勉強を進めるにあたって、このコミュニティの構成というのが非常に有効だったと思います。人と一緒に勉強することのメリット、「勉強内容についてわからないところなどを議論・質問しあうことができる」はもちろん、モチベーションの維持にうまいこと利用できました。

 

勉強に関して高専内の人の相談を受けると、高専の自由にあてられて長期的な勉強が出来ない/モチベーションを自生させることができなくなった、ということを異口同音に聞きます。

その矯正にもこのやり方はかなりおすすめです(経緯だけ書くと言ったくせに結局勉強法を解説・おすすめする)

 

 

コミュニティを利用した勉強

では、それをどういう様子にやっていくのか。

 

例えば、2人1組のコミュニティを組んで勉強を始めたとします。

ある日、一方のモチベが低まって勉強が捗らなかった、ということがあっても、もう一方が

ん、オレ今日はテキスト20ページ進んだけど、お前は??ヮラヮラ

煽りLINEをぶち込んでやることで、その日捗らなかった一方は

アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!

と、モチベを再燃させることが出来るのです。

 

この起き上がりの早さを実現できることこそが、コミュニティを構成することの最大の利点です。現に、僕はこれで100回くらい煽り煽られを繰り返し、お互い恒常的にモチベを維持することが出来ました。(精神は必要以上に摩耗されました。)

 

 

ちなみに、僕らはお互いのライバル意識を強調するために、TOEICの試験日程を2人で合わせてテストに応募したのですが、そうしたら試験会場までも一致し、しかも同じ部屋の隣の席になったので、試験本番の緊張を多少和らげることが出来ました。

都会の試験会場だったからなのか、英語の教師っぽい方やガチ欧米人の方がいっぱいいて、試験前にトイレに行ったらその人たちが英語で会話をしていたり、試験中ページをめくるのがメチャメチャ早かったりなど予想以上にプレッシャーを受けたので、友達と一緒に試験を受けられるということに結構救われたように思います。

 

以下に、僕らがLINEを使って勉強の進捗について話し合っていた時の実際のトーク履歴を貼っておきます(友情に大きな信頼をおきあうゆえの堂々の無許可掲載)。

 

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↑模試の結果報告の様子

 

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↑僕が『DUO3.0』という名前のテキストを1周終わらせて、英語の実力が伸びた気になったことをTwitterでドヤったときにした会話の様子

 

 

 終わりに

 以上が、先日のTOEIC公開テスト初陣について書いておきたいことでした。

ということで、みなさんもやる気のある人たちを集めてコミュニティを作ってみましょう。なお僕自身、高専内にもっと広くコミュニティを形成していきたいので、もしこれを読んでどうしようか考えている人がいたら、気軽に僕に連絡をよこしてください。ホント、僕と普段関わりのあるなしに関係なく...。

史上最強の脳汁本に出会った。

物理数学の直観的方法

 

同学の友達に、この本をおすすめされ/借りました。

初夏あたりに、Twitterでちらっと数学の話をしたところその友達にオヌヌメされたのですが、童貞であることが起因してか図書館でこの本を見つけることがまったく出来ず、白目をむいてamazon1-clickで今すぐ買うボタンに手をかけていたところ、彼が自分のものを「もう読み終わってるから」ということで貸してくれました。素敵な人ですね。ヲタクだけど。

 

本を借りてすぐに、個人で好きに使える時間を結構な量で得られたので、一定量を一気読みしました。

 

クソザコファッキンビビりました。

 

理系専門書でこの手のカタルシスを得られるとは思ってもいませんでした。なんだこれは。ジブリか。ジブリ製作かと。

 

このタイトル、調べてみると相当な逸話を持った魔法の本でした。これについてはここで触れませんけども。

 

どういう本なのか大まかに説明すると、(タイトルどおりだけど)物理・数学における難所をストレートに脳内へインプット/理解するために、これらを図形を中心とした理解法で(より直観的に)網羅していこう、という本です。

いや、わからない、実は最後まで読んでなくて、この興奮をどこかにアウトプットしたくて未読了ながらもキーボードを打っているので、もしかしたら本書の趣旨がまたほかにあるのかもしれませんが、要するに最強の数物攻略書、といったところです。

 

これがすごくて、読んでて脳汁がビュクビュク出るんです。難しい講義などで、一挙に内容を理解した時などにも似たように脳汁が出ますが、そんなの比にならないレベルでドクドクします。いやあすごい。

 

特に感動した項は、オイラーの等式:e^iπ=-1を図形的位相から理解するところでした。講義で導出に重きを置く教員が放置した内容なのもあって、読んだときはめっっっちゃめちゃ興奮しました。

 

こんな『長文ツイートでTLを荒らさないようにまとめる用ブログ』にものを書いてる暇があるのならさっさと続きを読みたいところですので、今日はここら辺にしておきます。いやあ、理系でよかったなあ。

そして本を貸してくれた彼に感謝したい。サンキューヲタク!!!

コミュニティ。

コミュニティ

 

ここ以外の場で何度かふれたことのある話題ですが、Twitterしかり、リアルしかり、あまり十分に表現できなかったと思うので、ここで一応の体裁を持って文字に起こしておきます。

といっても、今回の話題はいつにもまして結論が弱いので、ブラウザバックなしには悪しからず...。

 

また、あえて遠回しな表現や、意味の分かりにくい言葉をふんだんに使って、『先天の可能性を思わせるほどの才能を見せつける厨二病』のような文章になっています。それは、私の友達がこれを読むことへの嫌がらせであるというのもありますが、私の頭の中が、この話題に関して、何か断言をするにはあまりに抽象的な体系を保っていることに依存します。ほら、もう読みづらいでしょう。某講義で用いられる某スピーチ並みに読みづらくしてやるぞ、コノヤロー。

 

 

生き方を変えて能動的に人生の分岐を迎える

ここでいうコミュニティとは、特別な意味を含まない、広義的な『人間関係』に関してのことです。

 

私は昔から様々なタイプの人たちと交友関係を持っていました。個別に関係の深浅の差こそありましたが、交友関係を持ったなら必ず相手を尊重し、敬意を払っていました。

みんなと友達になっていた、つまりは、人を嫌いになるということは無かった、ということです。それぞれのタイプを認め、彼らをみな自分の人生の中に取り込んでいました。

 

しかし、ここ1,2年の間でそのような『やり方』を変えねばならないなと考え始めました。見聞を広め、自分の将来の目標を見据え、そのために生き方やその環境を整理しようとしたとき、明らかにこのやり方は自分にとってマイナスだと考えられたのです。

 

この世界で成功した先人の言葉を借りてみても、彼らが心がけていたのは自分に合わせた人間関係の管理でした。『自分に及ばぬ者をそばに置くな。』とか、『常にポジティブな人を身の回りに置くこと。』とかとかとか...。

 

私は、これらの言葉に感化されたというより、(無論私が思うところにおいて)より道理的なプロセスでこれらに同意し、自分の生き方としようと決めました。

 

しかし、今まで意図的にコミュニティの身辺整理をしたことがなかったので、私にとってこれは決して簡単なことではありませんでした。

 

人を自分の人生に取り込む癖、すなわち、生きることの要素の大半をしめるコミュニケーションにおける癖がつくと、本質としてそれは生き方の方向性なので、簡単に矯正することができないのです。無意識のうちに、望まぬ人を取り込んでしまいます。かろうじて、逆の意味で有意識に行動すればそれを避けることができるのですが、やはり生きる上で常にこれを考えるのは難しいことです。

 

その上、ポリシーを改めようとしている上でのことなので、以前までとは違い、この人はそばに置くべきでない、ということを選別的に考えることができ、その弊害として焦りなどからくる精神的な負担を負うことになります。

ここまで生きてきてこんな思春期のような気持になるとは...。精神面が負の方向に向かうと、バイタリティもこれに伴って、私の人間性デカダンスへと向かっていきます。ふおおおお...。

 

 

誰のためのコミュニティ?

そうこう考えているうちに、「あれ?交友関係って、ここまで能動的に自分のためを思って形成するものなんだっけ?」なんていう疑問が浮かび上がってきます。『情けは人の為ならず』の、超絶フォー・ファーストパーソンバージョンは、果たして生き方として(あえて断言しますが)正解なのだろうか。

むしろ、お互いを尊敬しあうことで友人同士であり、それはもちろん相手がその大きな基準のひとつなのではないだろうかと思うわけです。

 

頭がカタいなあなんて言われますが、私には、物事において、それが哲学の範疇にまで及んでもなお自分が割り切れるまで追及してしまうヘキがあるなあという自覚があります。このヘキに関しても、ある程度の矯正が必要かもしれないなあと考えていますが、私に内在する人間性のうち、アイデンティティの結構な割合を主張するものであり、人間的成長のためとはいえ、当然、絶対基底自己を多少なりとも折り曲げることには人並みに懸念があります...。

 

このベクトルに話を深めてゆくと、コミュニティの話から生き方の話に転置してしまいそうなのでやめておきますが、いかんせん、ここまで生きてきて、ここまで考えて、早期に専攻を決めることでここまで人生を絞っても生き方に迷いがみられることには、どうしてもフラストレーションを生じてしまいます。いま、私は人生において、日進月歩あるのみというような段階にあるはずなのですが...。

 

 

 

うーむ...。一通り、思うことを文字に起こしてみましたが、やはりあまりにも結論がないと、アウトプットすることの恩恵は享受できませんね...。次回はもっと簡潔に、結論の伴った、構成のある話題について書こうと思います。

 

では。

モチベーション。

モチベーション

 

試験が終わりまして、いろいろ考えがまとまり、そろそろ私の頭の中身を文字に起こせるんじゃないかなーとおもい、ここに帰ってきました。

 

今年の春先くらいに、「俺も今から本気出せば学科試験の成績序列で1位も夢じゃないんじゃね?」と思い立ち、今までの学生生活における勉学の面で問題があると思われた点を修正して、そして今回の試験に臨んだのでした。

 

結果、クソクソクソ&クソファック。

 

本気を出した私の序列は、たしかに前回の同試験を踏まえるとだいぶ(?)上がりましたが、目標からは全ッッッ然お話にならないような位置にありました。

私超ショック。講義中に寝てる学生や、試験前に勉強を教えた学生に序列で負けたんですもの。実を言うとこのブログに、一位取りました!!!ぽおおおおとか書き込む予定でした。でも実際は、ここ数年なかった屈辱を味わい、血涙を滴らせてキーボードを打つのでした。

 

といいつつも、マジで心がプチ折れるほど傷ついている、というわけでもないのです。というのも、こうして本気で臨んだ今回の試験を経たことで、新しい世界や価値観がたくさん見えてきたからです。つまり、たくさん見えすぎて傷つくどころじゃない。むしろ、この世界の新たな開きに感銘を受けました。(申し訳ないが風立ちぬネタはNG)

 

 

じゃあ何が悪かったんだろう?

では新たに見つけられた問題点はなんだったのか、ということですが、これには、ここで語りきることができないほど色々なこと(新たな人物層とのコネクションや人生観の変化など、問題点以外のこともまた多々...)があるので、このうちの、みなさんにも共有できそうなことについてつづろうと思います。それこそが今回の本題、「モチベーション」に関してのことです。

 

本気で勉強したといっても、我ながら、それはきめの粗い仕上がりになってしまったなと感じています。講義を受けているうえで、特に理解できないという教科はない、むしろ、人より深く学べている気さえする(ヮラなか、教科ごとの点数の落差が異常に大きかったということ。これはおそらく、私自身の各教科に対するモチベーションの差にあるなと考えています。

 

その起因たるは、その教科をご担当なさる清m教員が好きだとか、内容がおもしろいだとか、はたまたそれらの反対だとか...様々でありつつも、心当たりのあることは、どれもそのようなつまらないようなことばかりです。

目標のためにやるべきことを完璧にカバーしていると思っていても、実際のところは、そんな邪念に呑まれ、妥協し、怠っていました。

心から目標を達成したいと思っていませんでした。

 

 

ならどうしようか?

ここで改心して次に控える試験に臨むのも一手でしょうが、私がいざそうしようと思っているかというと、それは違います。

某飛行機設計家のような信念貫き通す完璧マンの概念から一歩引いて、自分の人間臭さを認めつつ、ベクトルの方向成分を維持しながら、この係数をいじってみようと思います。

信念にて勉学におけるすべてのモチベーションを生み、勉強に集中するのではなく、

このようなつまらないことに付き合うことでひとつひとつのモチベーション作りにより重きを置き、点をブチあげてやろう大作戦

に出るのです。そう、一度本質から離れる。否、本質を見るのをやめる。ヒステリックなまでにこれに集中して、点だけ上げるマンになる。これはまさに、複雑な行列式の性質を暴く証明の一環の補題です。ほかのネタに触れて表現すると、つまりは汚れ仕事(ウェットワーク)

 

...まあ、いままで上位層を占めてきた、本当に頑張っている人たちの城にいきなり素手で殴りかかろうとして返り討ちにあったのは、しかるべきことだったかもしれない。

でも、攻略法を熟慮して、兵を集めて、近代兵器を導入して......敗北を糧に、臥薪嘗胆を成すことができれば...!!

 

 

 

 

ふう。とりあえず、私がアウトプットしておきたいと思っていたのはこんなところです。ちょっと長くなりましたが...。

なにか写真を挿入したかったけど、最近あまり撮ってなかったからなあ...。

とにかく、今から頑張って、次こそは成し遂げます。そのときはまたここで報告を。

 

では。

 

おはなし

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春です。新生活です。新しく生きたいです。

これから、私の思うところを文字に起こしてみようかと思います。

そうしようと思った理由はいろいろありますが、...いや、やっぱりそんなことはない。
図書館でふと本から目を離して、取るに足らぬことをぼんやり考えていたところ、そうしようと思いついた次第です。

Twitterで書ききれない、でも吐き出しておきたいことをここでアウトプットします。それが一番わかりやすい説明かなあ。
何か統一した系統のコンテンツを配信するでもない。強いて言うなら、「iMoのあたまのなか」というコンテンツです。

新生活、よろちくb。